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時の砂

もの心のつく頃、私は自分が、他の人にはない不思議な力を持っていることに気が付いた。その頃までは、たぶん、そんな自分の力を特別だと思っていなかった。
 私は人を見るとき、その人の周りに、ぼんやりとヴェールのようなものが覆っているのを見た。そしてそのヴェールの中を、その人によって違う、様々な色の砂が降っているのを見た。私はそれをだれにも言わず、心の中だけで、時の砂と呼んだ。
 零れ落ちる砂の輝きで、その人の持つ心の美しさとか、運とか才能を、ぼんやりと感じることが出来た。そしてその零れ落ちるスピードで、その人があとどれくらい生きられるか、予想することも出来た。それは人に限らず、自分のものも。
 人生なんて虚しいものだ、と初めて思ったのは、いつだっただろう。たぶん、生まれたときから私に不思議な力が備わっていた、それと同じように、私はもうすぐ高校生になるという今までずっと、人生は虚しいものだと感じてきたように思う。
 だって、全て見えてしまっているのだ。自分の綺麗な部分も汚い部分も、恵まれている部分も恵まれていない部分も、将来の自分がどんなであるかも。目を逸らすことが出来なかった。
 私の周りを零れ落ちる砂は、灰色がかった薄い紫。時々、金色や銀色に煌いて、よっぽど嬉しいことがあると、桜の花びらのようなピンクがちらちらと混ざる。けれど、基本的には弱弱しいパープルグレイだ。
 ちなみに、砂が下に落ちるに連れて、ただでさえ力強いわけでないその輝きは、消え入りそうに弱くなっている。これは、年齢が上がるにつれて、私のなけなしの心の美しさや、運や才能が失われていくことを表していると、私には分かってしまった。
 私の人生は、灰色がかった紫色なのだ。大好きな歌を音楽の先生に褒められたときには、金色や銀色が煌いて、好きな子に笑いかけてもらえたときにはピンクが混ざるとしても、その事実は変わらない。そう思うと、私は自分という人間の命の底を見たような気持ちになって、ついでに他人の命の底まで覗き見が出来たりするもので、この世の中というものに、夢や希望を抱く気がしなくなってしまうのだった。
 けれど、そんな私を、この世界に繋ぎ止めてくれる唯一のものがある。それは、歌うことだ。     
                                      



 
 
「はい、今日はここまで。花林ちゃん、ずいぶん高い音が出るようになったねえ」
 一時間半の個人レッスンを終えると、春子ちゃんはニコニコして言った。私は、歌のレッスンに、毎週土曜日の午後に通っている。
春子ちゃんは、自宅で歌の教室を開いている、音大出の若くて綺麗な先生だ。お金持ちのお嬢様で、自宅の大きなお屋敷の、ピアノのある一室を教室用に使っている。
「春子ちゃんのレッスンのおかげだよ」
 私は笑顔で言った。先生ではなく春子ちゃんと呼んでと、初めてこの教室に来た小学校6年生のときに、きっぱりと言われた。他の人だったら、何こいつ媚売るような真似して、と白い目を向けていたかもしれないけれど、そんな風に感じさせない力が、春子ちゃんにはあった。
「でも私、花林ちゃんの低い声、好きよ。色々な歌を歌うには、それは音域が広いにこしたことはないけど。あなたの持ち味は、よく伸びる綺麗な低音なんだから、それに一番に磨きをかけてね」
 澄んだ声で、歌うように春子ちゃんは言う。女の子にしては声が低いというコンプレックスを、神様からの贈り物のように感じられるのは、こういう時だ。
「ねえ、今日は暖かで天気もいいし、外に出てお茶をしない?」
 またもや春子ちゃんが歌うような調子で言うので、私は思わず頷いた。私は春子ちゃんが好きだ。春子ちゃんといると、ほっとする。
 春子ちゃんを包む時の砂は、桜吹雪の舞っているような、柔らかいピンクだ。そして、まだ若い葉っぱのような緑が、ちらちらと混ざる。砂の零れ落ちる速度が一定で、一緒にいると、何となく安心できた。
父親が厳しい人で、音大に入ることは許されたものの、先生になることが条件で、プロの歌手を目指すことは認められなかったらしい。けれど、自分の目指す道と違った道を歩いていても、春子ちゃんはいつも生き生きしているし、父親のことを心から尊敬していると言う。
でも、最近は父親の目を盗んでライブハウスに通い、仲間とバンドをやっていた。この街には春子ちゃんの熱いファンもいて、いつかプロデビューするかもと、私は密かに思っている。春子ちゃんの持つ輝きは、とても力強いから。
時々、深い藍色が、春子ちゃんの華やかな春色に、さっと影を落とすことがある。そんなところも、私にはとても素敵に映った。

 私と春子ちゃんは、庭の隅に置かれた白い円テーブルで、紅茶を飲んだ。冬の空は透明に晴れ渡って、この地上に悲しみが山ほどあるのが不思議だとでもいうように、私たちを見下ろしていた。
「高校、合格おめでとう」
 花柄のティーカップに、ティーポットから熱い紅茶を注ぎながら、春子ちゃんが微笑んで言った。
「中堅の女子高に、推薦で受かっただけだよ」
 私は、注がれた紅茶をストレートで飲みながら、あまり愛想なく答えた。
「高校受験もひと段落したし、これからは、好きな歌の練習に没頭できるね。誘われている聖歌隊に入ってもいいし」
 春子ちゃんの言葉に、私は少し俯いた。
 両親がクリスチャンである影響で、私は小さい頃から教会に通っている。日曜の礼拝で私の賛美歌を聴いて、聖歌隊の一人が、私に誘いをかけてくれた。でも、私は迷っていた。   
学校の合唱部を、性に合わないと辞めた私には、聖歌隊で歌えることは魅力的だ。けれど私は、教会に通ってはいるけれど、神様を信じてはいない。それどころか、いるかいないか分からない神様を、心のどこかで憎んでさえいた。
どうして、この世界を上手く愛することの出来ないこんな私を、この世界に存在させたのだろう。どうして、この世界には生まれても生まれなくてもよかったと言えるような命が、たくさん存在するのだろう。そんなふうに考えてしまうのだ。こんな私が、信仰を持った人たちの前で賛美歌を歌うなんて、してはいけないような気がした。
物思いに沈む私を、春子ちゃんは心配そうに、小首を傾げて見つめていた。それから、ふと思い立ったように言った。
「ねえ、花林ちゃん。歌ってよ。今日教えた歌。外で歌ったら、気持ちいいよ、きっと」
 春子ちゃんの言葉に、私は少し救われた思いがして、頷いた。椅子を蹴るようにして立ち上がると、子憎たらしく晴れた空に向かい、大きな声で歌を歌った。
 お腹の底から声を出して歌うと、何故だか、私の小さな魂は慰められる。言葉にならない不安や、怒りや失望や、だれとも分かち合えない喜びが、ちゃんと形を持って、空気に溶けていくような気がした。
 春子ちゃんに教えてもらったばかりの、この冬の空のように明るく澄んだアップテンポの曲を、私は力の限り歌った。歌い終わると、
「ブラボー!」
 春子ちゃんの楽しそうな声が、耳に心地よく響いた。

 分譲一戸建ての我が家に帰ると、母さんが大きなお腹を抱えながら、クッキーを作っていた。私がリビングに入っていくと、クッキーの生地を、ハートや四角や円にくり抜こうとしているところだった。
 母さんを包む時の砂は、私と同じ薄い紫だ。けれど、母さんのものは柔らかで、そして常に、桜の花びらのようなピンクが舞っている。私には、時々しか舞わないのに。そして、羨ましいことに、砂が下に落ちていくに従って、その色は深く強くなっていた。
「お帰り。春子先生は、相変わらず元気?」
 母さんは、幸せそうに微笑んでいる。もうすぐ、私の弟か妹が生まれるのだ。
「春子ちゃんは、いつだって春子ちゃんだよ」
 適当に答えて、私はリビングを素通りし、隣の畳の部屋に入った。畳みの部屋を突っ切っていき、障子を開けると縁側だ。砂利の敷かれた狭い庭を見ながら、腰かけることができる。
 私はコートを着たまま縁側に腰かけて、ぼんやりと、暮れていく空を見上げた。
「レッスンは上手くいっている? 花林は小さいころから、歌が上手だって、先生や近所の人から褒められたのよ。花林が、大勢の人から愛されるような歌手になったら、母さん嬉しいわ」
 生地を並べた耐熱皿をオーヴンに入れながら、母さんが無邪気に言う。私は、黙って空を見上げたまま、返事をしなかった。
 私の歌は、大勢の人には届かない。それを私は、痛いほど自分で自覚していた。テレビで活躍している人たちを包む輝きを見れば、分かる。私の輝きは、大勢の人に自分の歌声を届けることが出来るほど、強くはなかった。
 しばらくすると、オーヴンから、クッキーの焼ける甘い匂いが漂ってきて、鼻をくすぐった。私は、何故か目の奥がつんと痛んだような気がして、再び空に向かって、春子ちゃんに教えてもらった曲をハミングした。
 何故、私は歌うのだろう? 時々、そう自分に問いかける。大勢の人に聴いてもらう価値のない歌なんて、歌っても仕方ない。自分ではそう思っているのに。
 歌っているときにだけ見える、金色や銀色の美しい時の砂を見たいからだろうか。それも、確かにある。けれど、それだけではなかった。
 私の中の、どこか出口を求めて彷徨っているような気持ちは、決して上手く言葉にならない。歌という形でしか、出口を見つけ出すことが出来ずにいる。だから、早く出して、という切実な声に突き動かされるように、私は歌った。胸の中の、深い場所にある思いを吐き出すように歌った。
 だれにも、言葉で、自分の心を全て表現することは出来ないと思う。だから、人は時々、人間なんて孤独だと言ったりする。でも私は、自分は孤独ではないような気がした。言葉で自分を全て表現することは出来なくても、歌に自分の全てを込めることなら、出来る気がするから。
私は、自分の全てを語る言葉を持っている。そう強く信じられたとき、私の周りを零れ落ちている時の砂は、たくさんの星を抱えた夜空のように、金色や銀色に、チカチカと点滅するのだ。
「花林、寒いから、もう部屋に上がりなさい。クッキー、そろそろ焼けるわよ」
 母さんの声に、私は歌うのをやめた。時の砂の輝きは弱まって、私は再び、薄紫色の自分に戻った。

3月の終わりに、妹が生まれた。赤ん坊が生まれて4日目、ちょうど春休みの私は、スイートピーとチューリップの花束を持って、病院にお見舞いに行った。薄い水色の空に、綿菓子のような雲がふわふわと浮いている、春らしい日だった。
 母さんのいる個室に入ると、母さんはとても小さな、ふにゃふにゃとした赤ん坊を抱いていた。お見舞いには何度か来ているけど、赤ん坊を見るのは初めてだった。私の姿を認めて、母さんも、隣にいた看護婦さんも、私に笑いかけた。
「綺麗なお花ね」
 看護婦さんが言った。
「ありがとう、花林。ね、あなたの妹よ。名前は、これから父さんと一緒に考えようと思うの」
 母さんは、とても愛おしそうに、胸に抱いた赤ん坊を見つめて言った。生まれたとき、妹はあまりに小さくて、しばらく保育器の中で生きるための闘いをしなくちゃならないのだと、父さんから聞いていた。やっといま、妹は母さんの腕の中で、すやすやと眠っている。
「赤ちゃんね、身体が小さいけど、一生懸命に頑張っているのよ。……花林ちゃん? どうしたの?」
 看護婦さんが、私が入り口で立ち尽くしているのに気が付いて、首を傾げて言った。私は、初めて見る小さな妹を、凍りついたように見つめていた。
 妹を包む時の砂の輝きは、あんまり弱弱しかった。まだ夜明け前のような、薄い透明な光を、ぼんやりと纏っているだけだった。そして、砂はものすごいスピードで、下へと落下している。
「花林、どうしたの? ほら、赤ちゃんに挨拶しなさい。妹を撫でてあげて」
 母さんに言われて、私はベッドに歩み寄った。サイドテーブルに花束を置いて、小さな妹の頭を、そっと撫でた。
「お花、花瓶に移し替えましょうね」
 看護婦さんが華やいだ声をあげて、花束を手に取る。私の胸は、小さな棘で刺されたように痛んだ。妹は、きっと長くは生きられない。

 妹は、美音と名づけられた。お姉ちゃんの花林が歌を好きだし、この子もきっと歌を好きになるだろう、綺麗な声を持っているだろう。綺麗な声で、思う存分に好きな歌を歌ってほしいと、父さんと母さんで命名した。けれど、美音はやっぱり身体が弱く、家に帰ってきてから、熱を出してばかりになった。高い熱を出した晩は、母さんは眠らずに美音の看病をし、美音はふぎゃふぎゃと泣いてばかりいた。
 クリスチャンである両親は、普段、いつかこの世からいなくなることを、悲しいこととは考えていなかった。この世での生を全うした人は、神様からお呼びを受けて、次の新しい世界に自分の魂を進めることが出来るのだと、固く信じていた。それでも、身体が弱い美音を前にして、この子が一分でも一秒でも長く生きられるようにと、父さんも母さんも毎日祈った。そんな2人をよそに、私は美音を包む時の砂の輝きが、一日一日弱まっていくのを見ていた。
どうして、美音はこの世に生まれてきたのだろう。熱にうなされて、苦しい思いをするために、美音は生まれてきたのだろうか。そんなふうに思うと、私は美音が可哀想で、歌を歌おうとするたび「美音」と名づけた父さんと母さんの気持ちを思って、歌うことが出来なくなっていった。

私は高校生になり、歌とはかけ離れたテニス部に入って、部活に熱中した。身体を動かして汗を流していると、何だか気分がすっきりして、気持ちよかった。
その日は、残暑も終わって、爽やかな涼しい風が吹く、10月の初めだった。部活が休みで、夕方、私は早めに家に帰った。リビングに入ると、母さんはテーブルに頬を押し付けて、うたたねをしていた。美音が熱を出すと、母さんは夜眠る暇もない。
私は自分の部屋からタオルケットを持ってきて、母さんの背中に掛けた、そして、いつも美音が寝ている畳の部屋をそっと覗いた。
氷枕に頭を乗せて寝ている美音を確認して、私は襖を閉めようとした。そのとき、私はこれまで出会ったことのない、不思議な光景を目にした。
日増しに弱くなっている美音の時の砂が、急に、目も眩むほどに輝いた。一瞬、目を瞑らなくては耐えられないほど、その光は強烈だった。
目が少し慣れて、私は正面から、その輝きを見つめた。美音は、熱でうるんだ瞳をいっぱいに開いて、一生懸命に、私を見つめ返した。
強い輝きなら、これまで何度も見たことがある。テレビで観る俳優とか、活躍しているスポーツ選手の輝きは、目を見張るほど強くて、鮮やかだ。ライヴに行ったときに見た私の好きな歌手も、そうだった。それは豪華なシャンデリアのように降り注ぎもしたし、内側から人を熱く照らしもした。
けれど、いま目の前に見ている輝きは、そのどれとも違う強さで輝いていた。いままで見た全ての光が、命を彩ることの出来る全ての色が、そこに溶けているような気がした。悲しくて嬉しくて、切なくて優しくて怖くて、ずっと目を当てていられない。
そのとき私は、ふいに、これは神様の光だと感じた。生まれてきて、たった6ヵ月ほどしか生きていない、身体の弱い妹の身体は、神様の光に包まれていた。
私は美音の側に歩み寄って、熱を持った額をそっと撫でた。美音は、うるんだ瞳で、私に少し笑いかけてくれた。私は、突然に理解した。この小さな妹の中にも、そして私の中にも、全てを包み込む、神様の光が宿っていることを。
美音の布団を掛け直して、私は早足で、2階の自分の部屋に上がった。ドアを閉めると、制服のままベッドに身体を投げ出して、泣いた。涙があとからあとから溢れてきて、止まらなかった。
美音は、会いに来てくれたのだ。母さんに、父さんに、私に。短い命だとしても、身体が弱くて苦しい毎日だとしても、あんな、全てを包み込むような光に包まれた場所から、この世界に。
「ありがとう」
私は着替えもせずに、そのまま泣き疲れて眠った。ふと目が覚めると、もう部屋は薄暗かった。私は、自分を包む時の砂が、眩い銀色に輝いているのを見た。色が混ざるのではなくて、全てが銀色に輝き、時々、全てが金色の輝きに変わった。私は寝ぼけた頭で、夢なのかそうでないのかはっきりしないまま、その輝きを見つめていた。そして、心の内側で、燃えるような熱さで、自分の魂が音を奏でているのを聴いた。
「花林? 帰っているの?」
 母さんの声が聞こえたとたん、その輝きはぱっと消えた。心の内側を流れていた曲も、ぴたりと止まった。あとには、何も見えなくなった。いままで見えていた時の砂の輝きは、姿を消した。
「うん、帰ってるよ」
 私は、ぼんやりと答えた。それから、疲れている母さんの代わりに晩ごはんを作ろうと、着替えをして、ふらふらと下に降りていった。
 その2日後の朝早く、美音は天国に旅立った。

 美音と自分の中にその輝きを見た日から、時の砂を見ることはなくなった。私は不思議な力を失った。
 私の心は、自由になった。自分の中に、だんだん輝きを失っていく、薄紫の時の砂を見ていた自分。眩い銀色と金色の輝きに包まれて、それがいつまでも身体を包んでくれるような気がした自分。どちらも私で、そのどちらを信じて生きていくことも出来るのだ。
 そして、未来は、どんな色にも染まっていない白紙に戻った。そこに私が何を信じて、どんな絵を描いていこうと、自由だった。それは美音からの、とても優しい贈り物に思えた。

「春子ちゃん、こんにちは」
 もう街がクリスマスモードの、11月の半ば。土曜日の午後、美音が亡くなってから初めて、春子ちゃんのレッスンに出掛けた。春子ちゃんは温かそうなニットのセーターを着て、いつもと変わらない穏やかさで、私を迎えてくれた。
「いらっしゃい。今日は、花林ちゃんが歌いたい歌を、何時まででも歌っていっていいよ」
 春子ちゃんは、レッスンに来ていない間も家に電話をかけて、私や母さんのことを、とても気遣ってくれた。そして、家を訪ねて来て、美音にお線香をあげてくれた。小さな美音の魂のために、一心に祈りを捧げる春子ちゃんの姿は、父さんと母さんの心も慰めたようで、春子先生には感謝していると、2人とも言った。
 私は春子ちゃんに、自分の内面に起こった変化について話したかった。けれど、やっぱりそれは出来なかった。私が持っていた不思議な力と、それを失ったときに起きた出来事は、一生だれにも話さない、私だけの秘密にしようと決めたのだ。
「ねえ、聖歌隊に入ることにしたんでしょう? どう、やっていけそう?」
 長いスカートを揺らしてピアノの椅子に腰掛けながら、春子ちゃんが言った。
「うん、まだ挨拶に行っただけで、本格的な練習は来週からだけど。もうすぐ12月だから、クリスマス・コンサートの準備で大変そう。来年からにすればよかったかな」
 肩をすくめて、私は言った。
「花林ちゃんなら大丈夫よ。ここで、賛美歌もかなり練習しているし」
 にこにこと笑って、春子ちゃんは満足そうに私を見つめた。
「教会にはね、立派な人より、自分を罪深いと思っているような、色々な迷いや痛みを抱えた人たちが来ると思うの。そういう人たちに響く歌を歌えるのは、同じ痛みを抱えている人だけなのよ、きっと。花林ちゃんなら出来ると思う」
 春子ちゃんの言葉に、私は素直に頷いた。大勢の人の耳に届くことより、そういう人たちの心の中に、少しでも届くこと。そのことのほうが、いまの私には大事に思えた。
「さ、今日は何を歌う? この間みたいに、ロックバンドの最新曲なんてリクエストしないでよ。曲は知っていても、弾けないからね」
 ピアノの蓋を開けながら、冗談めかして、春子ちゃんが言う。
「ねえ、レッスンの前に、久しぶりに、春子ちゃんの弾き語りが聴きたいな」
 私がお願いすると、春子ちゃんは快く、6年くらい前、自分の青春時代によく流れていた曲を、ピアノを弾きながら歌ってくれた。高校生のとき、生まれて初めて恋人が出来た頃によく流れていた曲なのよと、春子ちゃんは言った。
 ちょっと物悲しい。けれど、生きる希望を持とうとする力強さのあるそのバラードに、私は耳を傾けた。ふと、一瞬、ほんの一瞬だけ、春子ちゃんを包むピンクの時の砂が、ふわりと舞い落ちるのが見えた気がした。

                                                了
                       
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テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

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見えるって事は

ボクの知り合いで将来像が見えるって人いますが変な人以内ですね、、でも周囲はきもちいいものじゃないって思っちゃうんですよねぇ、、

Re: 見えるって事は

>ちゃまっちゃ大明神様さん
そうなんですか。周りに見える方が…。
その方が嘘を言っているのでなければ、見えるがゆえに、とても生きづらい面もあったでしょうね…。
そういう力を武器に、割とふてぶてしく(?)生きているような人もいるようですが…。
プロフィール

水無月ノノ

Author:水無月ノノ
神奈川県川崎市に在住の、24歳です。
メンタル問題抱えていますが、どうにか生活しています。

好きな事は読書、映画を見ること、カフェでお茶すること(スタバ好き)、料理など(簡単なものしか作れないけど)。
水彩色鉛筆で絵なども描きはじめましたが、なかなか上達しません(泣)
ちなみに、昭和24年組の萩尾望都先生&竹宮恵子先生を尊敬しています。

よろしくお願いします(^-^)

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